プロフィールページをご覧下さりありがとうございます。

重く沈んだお気持ちに明るさが戻るまで、伴走させて頂きます。

初めまして。
いろは(彩葉)と申します。
私の経験やカウンセラーとしての思いを綴らせて頂きます。

可能であればお読みいただけましたら、幸いです。

—「明るい人」を演じ続けた理由

これまでの人生の中で、私は人よりも少し多くの痛みや喪失を経験してきました。

幼少期の入院生活、HSP(繊細な気質)、性被害、虐待、子供の死、配偶者との別れ、ペットロス、そして社会に出てからの転職や無職という経験。

私はその全てを、平然とした「明るい人」という仮面の下に押し込めて生きてきました。

心に蓋をして過ごす事が、当時の私にとって唯一、日常を保つための処世術だったのです。

ー笑顔の裏に隠した、逃げ場のない子ども時代

私の幼少期は、生まれてすぐの大病と手術から始まりました。

だからでしょうか。
自然と、自分の気持ちを押し殺す癖がついていきました。

家庭内では「自分は負担をかけている存在だ」という意識が強くありました。

子供時代の写真は、今見ると悲しくなる程、下を向いているものや、表情のないものばかり残っています。

小学生に上がると、母からの日常的な暴力が始まりました。

テストが100点でなければ手や物が飛び、95点を下回れば夕食がない日もありました。

私は、テストの点数の“組み合わせ”を考えながら帰宅するようになりました。

「今日はこれとこれを先に見せよう」
「この点数なら、少し怒られるだけで済むかもしれない」

そんなことばかり考えていた小学生でした。

後年、同窓会で小学校の教師から「ランドセルを背負って帰る後ろ姿を見ながら、“本当に家に帰して大丈夫なのか?”先生達で話し合っていたんだよ」と聞かされました。

しかし、当時の自分は家に帰るのが怖いという自覚さえなく、ただ感情を消して日々を過ごすしか考えつかなかったのです。

気が付けば、どんな時にも人形のように、一定の真顔で過ごし、笑うことが難しい子になっていました。

中学生になり、母の勉強の理解度を親が超えたことで暴力は収まりました。

しかし、精神的な言葉の暴力や友人関係の歪みは続き、自傷行為で心の穴を埋めようと毎晩必死で戦っていました。 

ー誰にも言えなかった性被害

高校生の時、私は性被害に遭いました。

放課後、教師のいる教室へ全員分のノートを届けに行った際、鍵をかけられ、逃げられない状況の中で起きた出来事でした。

当然、誰にも言えませんでした。

親にも。
友人にも。

ただ、一人で抱えるしかありませんでした。

その後、一番得意だったその教科の成績は急激に落ちました。

理由を知らない両親は、家庭教師をつけてくれました。

けれど、その家庭教師との間でも、恐怖を感じる出来事が起きました。

授業中、ずっとハサミをカチカチ鳴らされる。
考えている間も、顔のすぐ横で音を鳴らされ続ける。

恐怖で集中などできませんでした。

毎晩ベッドに入る度に浮かぶものは、学校の教師からの性被害の光景や家庭教師のハサミの刃先、最後のシーンは母からの暴力の痛みで締めくくられる一つの決まった映像。

ベッド脇に3人が並んで立っている気がして、横たわるのが怖くなり、座ったまま朝を迎えることも少なくありませんでした。

今思えば、心は限界寸前だったのだと思います。

「今日の夜、自分は命を絶ってしまう」と確信した夕食後、病院へ行きたいと両親へ伝えました。

当時の両親は心療内科への理解がないものの、私がその答えにより本気で命を絶ってしまう危機感も感じ、

「とりあえず考えるから、明日まで待って」と伝えてきました。

ー初めて知った“無償の愛”

次の日の朝、「近所の人に見られたら困るから、病院には行かせられない。その代わりとして、犬を飼う。」

思ってもいない斜め上からの答えが返ってきました。

驚いたのは学校からの帰宅後。

少し帰りの遅い父に連れられ、段ボールに入った犬が即日やってきました。

ご飯もゲージも名前も何も無い中、とんでもないスピードでやってきた犬。

その犬が、私にとって人生で初めての「無償の愛」を教えてくれました。

気に入らなくても手を出さない、ただ寄り添ってくれる存在。

人の顔色ばかり見て生きてきた私にとって、その存在は救いそのものでした。

「生きていていいんだ」と、少しずつ思えるようになりました。 

次第に、その犬が私の心の拠り所となっていきました。

ー「明るいリーダー」という仮面

社会人になってから、私は75人ほどの新規メンバーをまとめるリーダーになりました。

毎日、沢山の人から相談を受けました。

「彩葉さんみたいに悩みなく生きたい」
「明るく前向きで羨ましい」

そう言われる度に、私は更に“完璧な自分”を演じるようになっていきました。

慣れない歪んだ笑顔が板につき、自分の過去や悩みや不安を、まるで無いものとして扱う術が身についていきました。

いつしか、「人に頼る」という感覚そのものが分からなくなっていました。

ー初めて「安心」をくれた人

男性への恐怖心が強かった私は、長い間、男性と二人になることすら怖い状態でした。

そんな中、30代で出会った一人の男性がいました。

何度会っても、距離を縮めてこない。
指一本触れてこない。
ただ穏やかに、私を尊重してくれる。

悲しそうな顔をすれば、無意識に鏡のように悲しそうな顔をする彼に、私は少しずつ、「安心」という感情を知っていきました。

そして結婚し、お腹の中には新しい命も宿りました。

ー宝物を一度に失う

しかし、ほんの数年後、その幸せな愛情溢れた日常は突如として終わりました。

結婚相手とお腹の中の子供を、ほぼ同時に失ったのです。

二人がこの世を去ったわずか2ヶ月後、実家の愛犬も亡くなりました。

コロナ禍緊急事態宣言中に、会えぬまま亡くなりました。

ビデオ電話で命の恩人(恩犬)の亡骸を見た瞬間、自分の中で何かが崩れ落ちる音がしました。

その年の記憶は、私の中にありません。

外を歩いていても、自分だけ違う世界にいる感覚でした。

白黒の世界の中を、自分だけスローモーションで歩いているような感覚。

同じ世界にいるのか、自分だけ違うところから社会を眺めているのか、分からなくなる景色でした。

ー時間薬と、景色が教えてくれた癒やし

元々子どもが大好きで保育士を目指していた私にとって、子供を失うことは、子供の声を聞くことさえ恐怖にするほど深い傷となりました。

子どもの声を聞くだけで涙が出る。
電車で子どもが乗ってくると車両を変える。
道の向こうから親子が来ると逃げる。

改善するのに5年近くかかりました。

「時間薬」という言葉の意味を身をもって知りました。

同時に「時間薬」の残酷さも知りました。

ーそれでも、少しずつ彩りは戻ってくる

私はHSP気質でもあり、人の感情や空気を強く受け取ってしまいます。

外に出れば他者の負のオーラに神経をすり減らし、仕事を転々とする時期もありました。

しかし、人より繊細であることは、景色や綺麗なものを何倍も魅力的に感じられる才能でもあります。

無職の中、綺麗な景色だけを見つめる時間を作りました。




木花

そして気づいたのです。

「人の心や環境が悲しく変わっても、好きな風景と大切な思い出はずっと変わらずここにいてくれる」

「この風景と大切な思い出があれば、潰れずに生きていける」

その感覚が、だんだんと私を救ってくれました。

そしてそれと同時に、新しくチャレンジした事があります。

「私は」を主語にして考える

最初は食事内容でさえも、「私は」を主語にすると頭が真っ白になりました。

「私はAランチBランチCランチ、どれを食べたいか?」

「私は…私は…え…?」

「分からない。自分への気持ちの聞き方が分からない!」

あれから自分を癒す術を学び、何年もかかりましたが、今では

だいぶ彩りを感じられる毎日を過ごせるようになりました。

ー今、あなたの“居場所”になりたい

と私は強く思っています。

長年抱えるという事に慣れると、抱えていると言う認識さえ、自分の中でなくなります。

でも、ふとした瞬間、

「やっぱり誰かに聞いてほしい」
「あの時本当は話したかった」
「抱きしめて欲しかったんだ」

という気持ちに目を背けられなくなる瞬間が来てしまうものだと思います。

しかも割に何回も。逃げても逃げても。

『過去の話』

そう言い聞かせて蓋をして、上手く蓋を出来たつもりでも、あなたの中で、過去が過去になれていない絶望は事あるごとに襲ってきます。

だから私は、あなたが安心して弱さを見せられる場所でありたい。

私と話すことで、魔法のように苦しさが消えるわけではないかもしれません。

しかし、染み出すように辛さや痛みが溶けていく感覚は、味わっていただけると信じています。

あなたの「孤独や痛みに押しつぶされた日常」を変えていきませんか?

電話を繋いでも、言葉にならずただ泣くことしか出来ないかもしれません。 

それでも大丈夫です。

それが当たり前です。

あなたが抱える黒い重荷が、1ミリでも溶け出してくれたらと願っています。

そして、いつかあなたの心に今より沢山の彩りが戻った時、その幸せを一緒に噛み締められたなら、これほど嬉しいことはありません。

私はあなたの絶対的な味方として、ずっとここで寄り添い続けます。

今まで辛い思いをしてきたあなたに、もうこれ以上の孤独感は感じさせません。

どうか、いつでも頼ってください。

宜しくお願い申し上げます。

いろは(彩葉)