「100点」という鎖に縛られた私の記憶
「親を嫌いになれるだろうか」
そんな問いを胸に抱えたまま、私は40代になりました。
振り返れば、私の子供時代は「100点」という数字に支配されていました。
テストで100点が取れなければ、容赦なく手が飛んでくる。
物が投げられ、時にはお仏壇の小さな壺が飛んできたこともありました。
92点を下回れば、その日の夜ご飯はありませんでした。
「夜ご飯を食べたい」「叩かれたくない」
その一心で、私は100点のテストだけを家に持ち帰るようになりました。
守ってくれる大人がいなかった家
社会人になってから知ったのは、当時の学校の先生たちの間で
「あの子を家に帰していいのか」という話が出ていたという事実です。
高学年の頃、勇気を出して父に一度だけ相談したことがありました。
しかし、仕事で疲れていた父から返ってきたのは、
「まあ、ママの好きにさせてあげてよ」
という無関心な言葉でした。
母が私の目の前で手を振るっても、父は何も言わずに部屋を出ていく。
その背中を見て、「この家に私の心を守ってくれる大人はいないんだ」と悟りました。
30年後の対峙
それから30年ほどの月日が流れ、私は勇気を出して両親にあの時の話をしました。
母は言いました。
「ちゃんと育てなきゃという気持ちが空回りしてしまった。
悪かったと思っているけれど、子育てが苦手だった自分を理解してほしい」
そして父は、ただ一言。
「覚えていない」
私が何十年も抱え続けてきた痛みは、彼らにとっては「理解してほしい過去」や「忘れてしまった出来事」でしかなかったのです。
現在、70代と40代になった私たち親子。
介護の話になった時、親からこんな言葉をかけられました。
「面倒見ないなんてことはないよね? 育ててあげたのに。
風邪ひいたら 病院も連れて行って、学校だって行かせてあげたのに!」
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飢え死にしない程度に食事を与え、学校に行かせ、教育の場を設ける。
それだけであれば、確かに恵まれていました。
感謝しなければならないのかもしれません。
でも、私が本当に欲しかったのは、そんな形式的な義務ではありませんでした。
子供の時にしか許されない「甘え」を受け止めてもらうこと、
そして、ただ抱きしめてもらうという「愛情」でした。
葛藤の先にある願い
何度も連絡を断とうとしました。
それでも、どこかで「いつかは分かってくれるはず」という淡い期待を捨てきれずにいます。
親を嫌いになりきれない。
そんな辛い葛藤の中にいる人が、この世の中には私以外にもたくさんいるはずです。
家族に対して「無償の愛」を心から信じられる人が増えることを願ってやみません。
